「茶くらい」とは
ブログ執筆者の名前「chakurai =茶くらい」について
少し長いですが、ご紹介します。
時代はぐぐーっとさかのぼり、15世紀へ。
千利休が生まれる数十年前のこと。
13世紀に禅宗とともに伝来した抹茶の文化は、
14世紀に「闘茶(とうちゃ)」として広く普及した。
「闘茶」とは、茶の産地や品種を飲みあてる茶会の一種という。
そうして茶が一般に広まりはじめ、15世紀になって
歌人の正徹(しょうてつ)が「闘茶」に集う人を3つに分類した。
その3つとは「茶数寄(ちゃすき)」「茶飲み」「茶くらい」。
まず、最も上級者とされるのが「茶数寄」。
「茶数寄」は、美意識を持って茶に取り組み、道具に関心を持ち、
和歌の会ではリーダーとなる人をさす。
次に「茶飲み」は「闘茶」のチャンピオン。
茶を飲み分けることはできるが、道具には興味なし。
和歌でいうと、和歌のよしあしはわかる、という人。
そうして最後は「茶くらい」。
こちらは、いわば「パーティ好き」。
「花より団子」で、よい茶でも悪い茶でも喜んで出かける。
歌の世界では、善悪をあれこれ言わない。知ったかぶりもしない。
そう「大衆」だ。
たとえるなら「茶数寄」が金メダル、「茶飲み」が銀メダル、
「茶くらい」が銅メダルといったところか。
でもって正徹は「茶くらいから茶数寄が育つ」とし、
茶くらいの存在も大切にしたという。
そうして今も続く「茶の湯」形成につながっていく。
……そんなお話を聞いた時、「茶くらい = 自分」だと納得した。
そして道具まで手を広げる「茶数寄」は、自分にはきっと一生手が届かないことも。
それなら自分にできるのは、「よりよい『茶くらい』になる」こと
ではないかという気持ちが沸いてきた。
まさに「花より団子」で、お茶とお菓子を楽しみに出かける、っていうのでOK。
あちこち出向き、時には勉強もして、季節の彩りを感じ、亭主と客のやりとりを学び、
成長していけたらいいんじゃないかなと。
そんな感じで、このブログでの日々の発見を綴っていけたらとねがっています。
参考資料:「逸話で読み解く茶の湯の歴史(その4)第1回
茶の湯形成期の逸話をめぐって −「数寄」の道と茶の湯−」
生形貴重氏の講演とレジュメ