なずなノート

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「茶の湯の漆器―利休と不昧のデザイン―」湯木美術館平成25年春季特別展

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  湯木美術館の「茶の湯の漆器ー利休と不昧(ふまい)のデザイン」を訪れた。

 

 この展覧会では、茶の湯で使用される漆芸品を中心に展示。

茶の湯の漆器は、千利休などの茶人や大名たちが

自ら「好んだ=デザインした」塗物の茶道具の登場により、16世紀に大きく変化。

18世紀には松平不昧によるデザインも加わり、洗練•成熟を増し、

不昧公の好みとして、洒脱なデザインが多く残されている。

  (太字は、展示 の説明文を参考にした。以下も)

 

今回は、おもに茶入(ちゃいれ)3点に的を絞って見学した。

 その3点は、

1. ポスターやチラシのメインビジュアルに使われている、

 「不昧好 菊蒔絵大棗(きくまきえおおなつめ) 原羊遊斎(はらようゆうさい)作」

 

2.「黒大棗 利休在判」

 

3.「黒大棗(ノ貫在判)」

以下、順にメモ書き。

 

■「菊蒔絵大棗 原羊遊斎作」

原羊遊斎は、不昧公の援助を受け、優品を多数製作し、

江戸後期を代表する蒔絵師となった。

黒漆地に、蓋甲から身にかけて八重菊、一重菊、裏菊の

三種の菊を重ねた大胆な意匠を施した華麗な棗。

高さ8.1 胴径8.0 底径4.2(cm) 江戸時代(19世紀)

 

身とフタで菊の花びらがバチッと合っている。

花芯と萼には截金(きりかね)がほどこされていて、華やか。

 

大きめの棗で、筒茶碗と並べた写真を見ると、

茶碗より一回り小さいくらいで、かなり存在感があった。

 

■「黒大棗 利休在判」浅野家伝来、松永耳庵所持

 

 総体の高さと胴径がほぼ同じで、四角に近い姿。

全体にていねいに塗り重ねられた漆が、

経年変化によって潤みのある飴色に透けている。

蓋の内側に利休のケラ判が朱漆で書かれている。

広島の大名、浅野家に伝来し、その後、戦前戦後の電力業界で活躍しつつ

茶道をよくした数寄者として著名な松永耳庵(まつなが じあん)が所持した。

高さ7.9 胴径7.9 底径4.1(cm) 室町時代(16世紀)

 

「ケラ判」ってなに?

調べてみると、利休さんの花押(かおう)が

昆虫のオケラに似ていることから名づけられたという。

オケラって誰が思いついたんだろう。

 

■「黒大棗(ノ貫在判)」

 

ノ貫(へちかん)とは、利休と同時代を生きた茶人で

生没年不詳。

利休在判の大棗に比べて、肩の張りがゆるやかで丸みがあり、

器胎と漆がやや厚く、ゆったりとした印象。

 高さ8.0 胴径7.7(cm) 室町時代(16世紀)

 

ノ貫の棗と利休在判の棗が隣同士に並べてあった。

説明文を読むと、ノ貫のほうが肩(=蓋のカーブ)が丸みがある、と書いてあり

じっと見比べてみると、なるほどノ貫の棗は、カーブがゆるやかだ。

 

一方、利休在判の棗は、直角とはいかないけれども

肩がかなりシャープで、緊張感があることが見てとれる。

胴から底にかけては、すーっと引くように狭まっている。

これは利休の美意識なんだろうか。

 

とはいえ、同時代を生きた茶人であれば、

もしかしたら同じ塗師が、利休とノ貫から依頼を受けて

棗を製作した可能性もあるんじゃないか。

 

もしそうであっても、それぞれの茶人からの指示により

できあがりが異なるのが、茶人の個性なのかもしれない。

 

 陶磁器もさっぱりわからないが、

さらに訳がわからない、漆の世界…。

見るのも初心者で、かつきらびや かなテイストが若干苦手な身としては、

 この3点を見学するので、いっぱいいっぱい。

 

 豪華な香合や炉縁、

懐石の飯椀や汁椀、引盃はちらっとだけ拝見したけど、

ゴージャスすぎていまいちピンと来ないのが少し悲しくもあり。。。

 とはいえ、時間をかけて茶入と向き合うのもまた楽し。

 

 毎月第一金曜日は、湯木美術館の夜間開館日。

仕事の後に初めて夜間に駆けつけてみると、ほかに客人はなし。

閉館時間の7時前まで約1時間、独り占めさせてもらった。