人波をかき分けて「ボストン美術館 日本美術の至宝」大阪市立美術館へ
“東洋美術の殿堂”と称される、アメリカのボストン美術館。
海外にある日本美術コレクションでは、世界に類を見ないボリュームとクオリティを誇り、
今展では、仏像や仏画、絵巻や近世絵画70点を展示。
会期終了を前に大混雑の会場で、それでもしっかり見ることができた、作品2点にぐっときた。
その2点は、「吉備大臣入唐絵巻(きびだいじんにっとうえまき)」と、
「龍虎図屏風(りゅうこずびょうぶ)」。
「吉備大臣入唐絵巻」は、遣唐使として唐に渡った
奈良時代の学者、吉備真備(きびのまきび)の冒険譚で、平安時代12世紀後半の作。
全四巻、全長約25メートルの全場面を展示。
唐人から出される難問を、不思議な力を借りて次々に解決していくストーリーだ。
物語は、吉備大臣が船で唐に到着するところから始まる。
使者に迎えられ、案内されたのは高台にある楼閣。
そこは幽鬼が出没するという、いわくつきの場所だった。
しかし、幽鬼の正体は、吉備大臣より先に入唐した阿倍仲麻呂の御霊と判明。
そこで、仲麻呂の子孫が日本で無事に暮らしていることを伝えると、
吉備大臣の味方になってくれた。
翌朝、幽鬼に喰われていないことに驚いた唐人は、
次の難題を考える。
課題は、中国南北朝時代の詩文集『文選(もんぜん)』を読むことにしようと、宮殿で役人たちが相談しているところへ、
幽鬼の案内で超能力を使ってビュンと飛ぶ吉備大臣。
試験内容を盗み聞きし、対策を立て、
試験当日に難なくクリア。使者たちは、またまたびっくり仰天!
さらなる課題は、囲碁。
囲碁を知らない吉備大臣は、幽鬼から教えを受け、
楼閣の格子天井を碁盤に見立てて練習を重ねる。
本番は窮地に立たされるものの、まさかのトリックを使って、かろうじてセーフ。
皇帝に謁見し、無事に帰国。
その後、吉備大臣は囲碁と「文選」を日本に広めたとされる。
この絵巻は、国宝「伴大納言絵巻」と同じく後白河天皇周辺で制作されたものと考えられる、とあった。
各巻の初めに美しいかな文字で物語の説明があり、絵がつづく。
物語にユーモアがあり、描かれている登場人物が表情豊かで、とっても魅力的。
いまの漫画に近い印象だ。
とぼけた表情で盗み聞きしたり、
試験問題をゲットするために宙を飛ぶ時には、からだの後ろに傍線で「ビュン」と飛ぶさまが表現されていたり、
宮殿前で主を待つ従者たちが道ばたで居眠りしたり、
馬や牛がのんびり休むさまなど、実にいきいきと描かれている。
もう一点は、長谷川等伯の「龍虎図屏風」。
龍と虎は、中国南宋の画家 牧谿(もっけい)以来の定型化した組み合わせだという。
江戸時代 慶長11年(1606)、等伯68歳の作。
虎のワサワサした毛並み、ピンと張ったひげ、肉厚の足、
フサフサのしっぽ、一点を見つめる目。
龍のギョロ目、闇から浮かぶ爪、ニョロニョロしたひげ。
今にも絵から飛び出しそうだ。
近くから遠くから、見る場所をあれこれ変えてみた。
すると、もともとは龍の目線の方が高い位置に描かれているんだけど、
虎側に寄ると、龍と虎の視線がほぼ同じ高さにくることを実感。
等伯マジック?
もうこの作品に会える機会はないのかと思うと、名残惜しく、手を振ってお別れしたい気分になった。
ボストン美術館の100年以上にわたる日本美術の収集の功労者として、三人の名前が挙げられていた。
アーネスト•フェノロサとウィリアム•スタージス•ビゲローと岡倉天心。
フェノロサは、明治11年(1878)に明治政府のお雇い外国人として来日。
東大で政治学や哲学を教える傍ら、日本美術の研究と収集に尽力したという。
ビゲローは、日本びいきの大コレクターであり、
ボストンの医師、資産家。
日本文化に心酔し、天台宗に改宗したほど。
帝国博物院(現在の東京国立博物館)美術部長などを経て、
明治37年にボストン美術館に招かれて、後に中国、日本美術部長として
「アジアはひとつ」のスローガンのもと、
東洋美術品の体系的な収集に力を尽くした。
ボストン美術館には、天心の貢献を称えた日本庭園「天心園」がある。
日本人なのに、なぜ英語? と疑問に思っていたから。というか、ちゃんと本文を読んでなかったのね。
入口が記念撮影スポットになっていた。
作品や人物については、展示の説明文を参考にした。