なずなノート

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無名の英雄を描いた映画『ジミー、野を駆ける伝説』

 ケン・ローチ監督の映画にはめずらしいほど、後味さわやかな作品だった。


撮影時、御歳77歳だったというケン・ローチは、

社会から見過ごされたり抹殺されたりする人々の姿を

すくい取り、生き生きと描くイングランド出身の映画監督。


2014年に製作されたのが、

歴史に埋もれた一人の男と、彼の仲間たちが自由をもとめる軌跡を描いた

『ジミー、野を駆ける伝説』である。

 

舞台は1930年代のアイルランド

1919〜1921年のイングランドとの独立戦争を経て、

英愛条約締結後の内戦から10年経ったころ、

一人の男がアイルランドに帰ってきた。

 

ジミー・グラルトン。

元活動家でアメリカへ国外追放になり、10年ぶりに帰郷。

農業をしながら年老いた母の面倒をみるという、

おだやかな暮らしをするつもりであったが、

昔の仲間から熱烈に歓迎されてしまう。

 

そしてジミーが主宰していた「Jimmy's Hall(ジミーのホール)」を

再開することを強く望んだ。

そこは「村に住む老若男女が、自由に集い、

詩や音楽、スポーツを楽しむ場所であり、

人々が自分たちの才能を想像できる場所であり、

そしてもちろん踊れる場所」である。

 

村の住民が運営し、自分たちが得意なもの、たとえば歌やダンス、

木工やボクシングなんかを時にはボランティアで教え、時に学ぶ空間。

そんな素敵なスペースが、権力をもつ人々からはうとましがられる。

歴史を知らない者からすると、なぜこんなにつぶされるのかわからないけど、

 木々の深い緑、沼、霧の美しい風景のなか、とにかくひどい圧力がかかる。

 

 

でもジミーは負けない。こう語る。

「我々は人生を見直す必要がある。

欲を捨て、誠実に働こう。ただ生存するためではなく、

喜びのために生きよう。自由な人間として」と。

 

自由をもとめる人々の思いや、たたかいが住民の目の高さで描かれているので、

この時代のことをまったく知らないのに、この地で必死に生きる

住民一人ひとりに親近感をもってしまう。

 

結局ジミーは再びアメリカへ国外追放されることになるが、

母の言葉がかっこいい。

「私は息子を失うが、国の損失はもっと大きい」。

 

ラストシーンがまたよかった。

銃を向けられても負けない、若者たちのこころ。

アンティーク自転車が走る列は圧巻。思い出すたびに、じーんとくる。

 

ジミーは実在の人物だが、本国でもほとんど知られていない存在なのだそう。

そのためどこかフィクションで、どこがフィクションでないのかの

問いに対して、 「ジミー・グラルトンの人生と、

その時代から“インスパイア”されたもの」だとケン・ローチは答えていた。

 

この作品を最後にケン・ローチは監督引退との噂もあるが、

また新作が観られることを願うばかり。

 

太字はオフィシャルインタビューにあったケン・ローチのコメントを引用した。

2015年2月、シネ・リーブル梅田で鑑賞。