なずなノート

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映画「ある精肉店のはなし」いのちに向き合うひとは、いのちを考える機会の多いひと

 一本の綱を引いて、男性が牛を連れて歩くところから

映画「ある精肉店のはなし」は始まる。

ごくふつうの住宅街にある細いアスファルトの道での、

どこかのんびりした情景だ。

 

向かう先は、屠畜場。牛が動物としての生を終え、

店先で見かける「お肉」へと姿を変えていくさまを、

牛と人間の温度を伝えるようにカメラが静かに追う。

 

大阪・貝塚市で7代にわたり食肉業に携わる

北出家の家族を1年半かけて撮影したドキュメンタリー。

 

北出家の商いは、生産直販そのものだ。

精肉店の奥で牛を育て、歩いて牛を連れて

屠畜場で牛を屠(ほふ)り、牛を解体する。

 

店に枝肉を持ち帰り、骨やすじを取り除くなど

手間をかけたのちに、スライスしてパック詰めにして商品として店頭に並べる。

 

それがいつも目にしている「お肉」だ。

いわゆるお肉だけでなく、かたい足すじは何時間も煮込んでコラーゲンたっぷりのおいしい煮こごりにしたり、

腸は加熱して石鹸の材料に使われたり、油かすはお好み焼きなどの具材に活用したり。

牛のいのちを存分に生かし、また新たないのちにつなぐ。


偏見、蔑(さげす)み、嘲笑等々、いやおうなく差別を受ける環境にあって、

それでも長男・新司さんは仕事に誇りを持ち、

一人で牛をさばくという、今では稀となった熟練の技術を高めた。

そして差別に甘んじることなく行動を起こす。


おもに牛の飼育にあたってきた次男・昭さんはこう話す。

「屠畜するのってすごいって人に言われるけど、

僕からしたら、おいしいとお肉を食べているあなたの方がすごい」と。


このあたりのことは、普段考えないようにしてきたので、

正面から見せられると恥ずかしいような、一瞬目をそむけたくもなったけれど、

そんなことに関係なく、肉をいただくまでの過程には、必ず人が存在する。

ここで描かれている北出一家のように。

 

新司さん、昭さん、長女の澄子さん、

新司さんの奥さんである静子さん、二三子ばあちゃん…。

家族それぞれのエピソードが、カメラを意識しないほどの親密さで、ていねいに綴られる。


2012年3月。

102年の歴史をもつ貝塚市屠畜場が閉鎖されることになった。

それにともない、北出家は牛を育て、屠畜する道をあきらめる決断を下す。


昭さんは趣味で続けてきた太鼓づくりを職業と定める。

300年以上前に作られた太鼓を修復するために、

自らが屠った牛の革を使い、

そのいのちを余さず生かす。


新司さんは牛を育ててきた飼育場と店、自宅を建て替え、

新たな道を模索する。


屠畜場の閉鎖にともなう鎮魂祭で、新司さんはあいさつでこんな話をした。


「天寿をまっとうすべきところ、いのちを捧げてくれた家畜に感謝」、

そして、食肉と皮革に携わりいのちをいただく有り難さが延べられた。


いのちの最前線に立つ人は、

きっと誰よりもいのちについて考える機会の多い人なんだろう。

 

 2014年6月、第七藝術劇場で鑑賞。


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