なずなノート

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映画『唐山大地震』 32年間の家族ドラマ

 本が手放せないという、ものすごく読書家の方に聞いたことがある。

「小説というフィクションのかたちになって初めて、

歴史的な事柄を理解できるようになる」のだと。

 

ただ事実を並べるだけでは入ってこない。

優れた作り手が練った世界に入ってこそ、その真髄が伝わるのだという熱弁だった。

この映画を観た後、そんなこともあるかもしれないと、

意味するところが少しだけわかった気がする。

 

「鳳凰城」と呼ばれる中国河北省の美しい都市、唐山市で

1976年7月28日深夜に巨大地震が発生する。

 

夫婦と男女の双子の四人家族のしあわせな生活が一夜にして崩れ去る。

夫を失い、無事だった母は子ども二人ががれきの下に埋もれていることを知る。

どちらか一人しか助けられないという状況のなか、

母は聞き取れないほどか細い声で、「弟を…」と告げる。

 

自力で助かった母、助けられた弟、助けてもらえなかったけれど生き延びた姉。

助けられたひとが幸運で、助けてもらえなかったひとが残念、というものではない。

姉は助けられなかったことを胸に秘め養父母に大切に育てられ、

母は「失ったことの意味は失ってから分かる」とその痛みとともに人生を送る。

 

1976年から2008年へ。

母と姉、弟が、32年の間、たくさんの人々と関わって生きた

人生を追いながら、家族の姿を描く。

 

 地震が起こる前の暑い夜。

子どもたちは二人とも、洗面器に冷やしてあるトマトを食べたがったが、

母は弟にゆずるよう諭した。お姉ちゃんに「明日買ってきてあげるから」と言って。

 

32年の年月を経て再会のとき。

真っ赤なトマトが空白の時間をつなげる。

母の発する一言が響く。その重みがずしり。

 

『唐山大地震』という作品で地震を再現するシーンもあるんだけど、

英語タイトルに『AFTER SHOCK』とあるように、

この映画では「地震の後」に焦点があてられている。

 

それぞれの人柄や心の動きがしっかり伝わってきて驚く。

みな自分のいるところで精一杯生きていて、

家族のうち誰に思い入れするというよりも、

誰もに親しみを感じてしまう。

 

20世紀最大とされる唐山大地震があったことさえ知らなかったけれど、

今ではいくつものシーンを折にふれて思い出している。

 

この作品は2011年3月末に公開予定だったそう。

延期を経て4年後の2015年3月にロードショー公開された。

2015年4月、塚口サンサン劇場で鑑賞。