なずなノート

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スターになれなくても、また良し。映画「バックコーラスの歌姫(ディーバ)たち」

 

  ふと耳なじみのある曲が頭をめぐることがある。

ルー・リードの代表曲「Walk on the Wild Side 〜ワイルドサイドを歩け〜」

だったら必ず、「ドゥ ドゥ ドゥ〜」のコーラス部分が思い浮かぶ。

 何度も反すうしてきたそのメロディーを歌う人に、

これまで思いをはせることはなかった。

 

「バックコーラスの歌姫(ディーバ)たち」は、スターの後ろで楽曲を盛り上げる

無名のシンガーにスポットを当てた映画だ。

 

 その軸として描かれるのが、70歳を超えるベテランのシンガー、ダーレン・ラヴ。

 60年代に黒人コーラスグループ、ブロッサムズのメンバーとしてデビューし、

エルヴィス・プレスリーフランク・シナトラなどトップスターの

バックコーラスをつとめた。

 

 一方でプロデューサー、フィル・スペクターと組んだものの、

とんでもない屈辱を味わわされたという。

ブロッサムズがレコーディングした曲が、

別のグループの作品として発売されてしまうのだ。

あまちゃん」でいうところの替え玉、まさに春子さんの仕打ち。

そんなこともあり一時は音楽を離れ、家政婦として働いたものの

「あなたの仕事は歌うこと。皆があなたの声を待ってる」という

心の声に従い、歌の世界にカムバック。

 覚悟をもってステージに立つ、そのかっこよさ。

 

ほかにもさまざまなバックシンガーが、自身の音楽人生や歌への思いを語る。

 ローリング・ストーンズの名曲「ギミー・シェルター」を、

パンチの効いたコーラスで彩るのは、メリー・クレイトン。

 「心を込めて歌えばヒットするはず」とソロデビューを果たすも、

スターには届かず。

 

マイケル・ジャクソンに見いだされ、ツアーメンバーに選ばれたものの、

ツアー直前にマイケルは急死。せっかくのチャンスがふいになったと思いきや、

追悼ライブが動画サイトでものすごく視聴され、注目を集めたのは、ジュディ・ヒル。

 

「歌うとは分かち合うもの。競うものじゃない。自分のことを売り込むなんて

できない」と、あくまで謙虚なリサ・フィッシャー。

 彼女は先だってのローリング・ストーンズの世界ツアーにも参加している。

それぞれの生き様は貴く、その人にしか語れない言葉をもちあわせている。

 

 その存在感は、バックコーラスについて語る錚錚たるスターたち、

たとえばミック・ジャガーやスティング、シェリル・クロウに見劣りしない。

 

では、スターになれるか、なれないか。その一線は、どこにあるのだろう。

ブルース・スプリングスティーンは言う。

「数歩の距離だけど難しい。バックコーラスからメインの位置に来るにはね。

前で歌う心構えをもてる人ならいいけれど、強い自分がないからなじめない」。

 

 「楽しいからといって、自分の夢を捨ててはいけない。

ラクで楽しいことから、一歩踏みださないとね」。

こう話すのは、スティービー・ワンダー

 

 運や運命、社会の動きや流行のいずれか。

おそらく、それらのすべてによるものか。

スターになれないのが残念なことかといったら、必ずしもそうではないかも。

 

アレサ・フランクリンの再来といわれたタタ・ヴェガは、

「もし私が成功して大金持ちになっていたら、ここにはいないでしょうね。

ヤク中で死んでたもの」と笑う。

 

スターになったからといって幸せが約束されるわけではない。当たり前だけど。

突出した一人になるか、そこそこでも長く続けるか。

実力があっても、突き抜けたエゴや売り込みをよしとしないバックシンガーたちは、

プロフェッショナルなバックコーラスが活躍する場が減っている現在でも

それぞれに折り合いをつけているように見える。

 

映画のラストは、ダーレン・ラヴが歌う「リーン・オン・ミー」。

甘いも苦いもくぐりぬけた彼女の歌に、リサ・フィッシャーやジュディ・ヒルが

コーラスをかぶせる。

「バック」シンガーかどうかなんて、どうでもいいんじゃないかと思えてくる。

「ヒット曲でも、覚えやすいフレーズは私たちのパート」と、

誇りをもつシンガーたちは、やっぱり圧倒的にかっこいい。

 

2014430日、塚口サンサン劇場で鑑賞。