なずなノート

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大阪ヨーロッパ映画祭で上映「わたしの名はジン」

 ジンはトルコに住む、17歳のかわいい女の子。

愛する母と離れ、都会をめざして歩く。

深い森と岩山を上っては下り、時にはバスに乗ったりヒッチハイクしながら一人で進む。

 

この映画がロードムービーにとどまらないのは、

ジンは真っ暗な山道を駆け下りるほどの強靱な肉体と精神力をもち、

背中には銃を身につけていることだ。

 

 山中で物音がすれば銃を構える。

やがて現れるのは、森に住むシカだったり、時に空爆だったり、

瀕死の重傷を負った兵士だったりする。

 

おもな舞台となるのは、シカやクマ、ヘビといった動物たちが住む、自然がそのまま残る美しい森。

深い森の静寂のなか、時折、耳をふさぐような空爆や銃声、地雷が響く。

そんなときも動物たちはジンとともにあり、寄り添ったり、空爆におびえたりもする。

その緊張感がぐっと迫る。

 

ギリギリの緊張だけではなく、時にちょっとした瞬間に少女らしさも垣間見られた。

たとえば、空腹に耐えかねると鳥の巣から生まれたての卵を拝借するシーン。

初めは卵を二つ取ろうとしたところ、親鳥が鳴くさまを見てそっと一つ戻したり、

着の身着のままで発ったものの、やっぱり同年代の女子が着るような服を身に着けたくなるところとか、

人の家にあったものだとしても、本を読もうとするところとか。

 

なぜジンは家族と離れて都会をめざすのか。

どんな部族に属しているのか。敵は誰か。戦況は内戦状態なのか何なのか。

最小限のセリフと音楽があるだけでナレーションもないので

情報がきわめて少なく、理解するのが難しい。

 

ただ「怖いもの見たさ」を強調するような映画ではなく、

何か強い意志をもって制作された作品であることは伝わった。

その思いが何によるものなのかを、上映後のトークセッションで知ることとなった。

 

 さて上映後、フロラン・エリー撮影監督が登壇。

2、3の質問に答えながら、映画について詳しく語ってくれた。

まず、この35〜40年間ほどトルコ人ではクルド人が関わる

ゲリラ戦が続いていて、複雑な事情によりおさまりがつかないことなど

状況を説明。

 

そんな中、監督は「今こそ何かしないといけない」と立ち上がり、

1か月で脚本とキャスティングを終え、2か月で撮影を敢行。

秘密裏に計画を行うため、住民にも見つからない国立公園で撮影したのだそうだ。

 

少女ジンはクルド人で、この映画ではクルド人の現実が

どうなっているかを描いている。

そしてクルド人の闘いや葛藤だけでなく、

トルコ全体の問題としてとらえたい。

引いては特定の場所ではない、どこにでも起こりうる状況として伝えたいのだと話していた。

 

加えて、人生の選択ができないまま戦うのはどういうことか、そして未来を描きたかったとも。

 

最後に、たくさん出てくる動物のシーンについて、

ラストシーン以外は特殊効果を使わず、動物の動きを待って撮影したのだとか。

ずっしりと重いテーマにあって、その様子を想像するとほほえましい気もした。