二回目の能楽堂へ
能は室町時代の文化の「圧縮ファイル」のようなものなのかなと、
能の舞台を観る機会があったときに思った。
能は確か2回目。まったくのシロウトである。
今回の演目は「景清(かげきよ)」。
世阿弥の作。
あらかじめ解説をいただけたのでたすかった。
舞台は日向の国、宮崎。
平家の武将であった景清は宮崎へ流され、
今は盲目の老人となっている。
父を探しに宮崎を訪れた娘、人丸がやって来たとき、
自分の娘だとすぐに気づいたもののそれを伏せ、
ほかを当たるよう伝える。
人丸はその後、出会った里人に父の消息を訪ねたところ、
先ほど会った盲目の老人こそが探している父だと教えてもらう。
650年以上前に作られた能を、2014年の今に体験できるのは不思議な気がする。
室町時代のひとがわかるであろう言葉は、
耳だけでは十分には理解できないけれど、
謡本(うたいぼん)を読めば意味を追うことができる。
リズムなどがまったく一緒かはわからないけど、
音声や映像といった記録メディアにたよらず文化が伝えられているのが興味深い。
ところで能を観に訪れている方々は、ほとんどがリタイア世代だった。
能にお近づきになれば、長く付き合える存在なんだろうという気はする。