なずなノート

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「明治のこころ モースが見た庶民のくらし」その2 モースの言葉を採集

 江戸東京博物館開館20周年記念特別展「明治のこころ モースが見た庶民のくらし」では、

モースが収集した生活道具とともに、自身による写真やスケッチ、

日本人のくらしに接して彼が記した言葉もたくさん展示されていた。


そのうちいくつかを採集。

まっさらなこころで日本人のくらしと出会ったモースならではの

発見や驚きがこちらにも伝わってくる。


「非常に腹を立ててすさまじい剣幕で手紙を書こうとする人でも、

墨をする間に十分に冷静になる丈(たけ)の時間がある」


確かに。ものすごくイライラしていても、

墨をするのがもどかしく思えても、そのうちに静まってくるんだろう。

コンピュータやスマホに向かっていては、そんなすき間時間がないもの。


「箸の使用法を覚え込んだ私は、それを

およそ人間が思いついた最も簡単で且つ経済的な仕掛けとして、

全世界に吹聴する」


「衣服にはボタンも紐穴もホックも鉤眼(かぎめ)も紐も留針もない

ーー まったく合理的な考えであるーーので、

ただこの帯で衣服を引き締める」


明治初めに衣服として着ていた和服、

そして箸の簡素な性質についてぴたりと言い得ている。

ほかにも、子どもが誤って障子に穴を開けると、

四角い紙片でなく桜の花の形に切った紙を貼ることに

感心したという記述もある。


「いくつかの盆の上に広がったのを見た時、

私は食物に対するのと同様の興味を、

それらを盛る各種の皿類に対して持った」


色とりどりの陶磁器や漆器にも興味津々だったんだろう。


さらに、来日したばかりのモースは、

日本の住居があまりにがらんとしているため「空き家」かと疑ったという。



モースはまた、「人々が正直である国にいることは、

実に気持ちがよい」と言った。

今もモースにそう感じてもらえるかなとか、

あるいは簡素で美しいくらしとは…。

自分をかえりみると、はなはだ心もとないのが残念ではある。